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福島「合戦のしだれ桜」「三春滝桜」など

4月24日 今回の旅行もほぼ終わり帰途についています。
国道4号線を走っていると頂上に雪を戴いた蔵王連峰が見えました。また、福島でちょっと横道にそれて「合戦のしだれ桜」「三春滝桜」を見てきました。今年の桜もこれでみおさめになりそうです。


蔵王連峰

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合戦のしだれ桜です。

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そしてこちらが「三春滝桜」

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岩手県遠野市のデンデラ野、カッパ淵、めがね橋

4月23日 岩手県遠野市にあるデンデラ野はかつて姥捨ての風習があった土地です。 60歳になった老人を捨てた野で、老人たちは日中は里に下りて農作業を手伝い、わずかな食料を得て野の小屋に帰り、寄り添うように暮らしながら生命の果てるのを静かに待ったと伝えられています。かっての山村の悲しい習いをうかがわせます。
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里はすぐ近くです。
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こちらは「カッパ淵」各地にかっぱの伝説が有ると思いますがこれも其のひとつ。
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めがね橋 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を連想させる景観
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夏油温泉郷の瀬美温泉及び座禅草、水芭蕉の群生地

4月22日、今日は夏油温泉郷の瀬美温泉に行ってきました。その後、座禅草や水芭蕉の群生地を巡りました。

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こちらは座禅草
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水芭蕉の群生地です。
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カタクリの花も
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山形県から横手(秋田県)、北上・花巻(岩手県)へ

4月21日 山寺見学後天童市に一泊し、翌日、秋田県横手市に有る崇念寺(スタルヒンの墓)に向かった。昭和9年、結成されたばかりの大日本野球倶楽部(巨人軍の前身)に入団したスタルヒン。その生涯記録は586試合で303勝175敗(完投250・完封84)奪三振1960。なかでも完封84という大記録はいまだに破られていません。 そんな大投手を陰から支えたのが、昭和25年に再婚した妻の久仁恵さん。この方が、雄物川町今宿の崇念寺住職・高橋大我さんのお姉さんであることから、スタルヒンは妻とともにこの地に永眠することになりました。現在の墓は、平成元年1月、スタルヒン33回忌の命日に娘のナターシャさんが建立したものです。(横手市HP)

これは横手に向かう途中、国道13号線から見えた鳥海山です。
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こちらがスタルヒンの墓
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スタルヒンの墓を見た後、横手城に向かいました。
横手城は、その昔朝倉城といい、1550年頃、現在の秋田県南部に勢力を築いた小野寺氏によって造られたと伝わる。横手城は朝倉山を包むように横手川が流れ、背後は山、また山と奥羽山脈につづく独立した一箇の要害に建てられた平山城です。城の普請は、石畳を用いないで土居削崖とし、土くずれを防ぐ土止めと、敵が這い登ることができないように韮(にら)を植えた築城だったので、別名「韮城」ともいわれた。1868年の戊辰戦争の際に横手城は落城し、二の丸跡には、昭和40年に三層の「天守閣様式の展望台(通称:横手城)」が建てられた。(横手市HP)
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岩手県に向かう道路は奥羽山脈を横断する険しい道路である。
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こちらが岩手県北上市の樺山遺跡である。
この遺跡は、縄文時代中期の配石遺構群を伴う、縄文時代前期末から後期にかけての集落跡。
特に、配石遺構と呼ばれる石組み群が、丘陵西側の緩い斜面部から平坦部にかけての一帯に不規則に分布し、石を組んだモニュメントが37個発見され有名になった。
東側の高台上には約5,000年前の村が、西側の斜面には約4,000年前の村があり、モニュメントの造られた時期は謎である。
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次に花巻市の花巻農学校跡と宮澤賢治の墓がある身照寺に行きました。
宮沢賢治が勤務した花巻農学校の跡地(現校舎は宮野目地内に移転)の一部が公園として整備されています。公園内には宮沢賢治が大好きだったと言われる、ぎんどろ(銀白楊)の木が植えられてあります。「ぎんどろ」はヤナギ科の高木で、賢治が農学校在任中に植えたものと言われており、公園内には、賢治の筆跡による「早春の碑」と、第1回本郷新賞を受賞した彫刻「風の又三郎群像」の碑が建っています。また、近くの身照寺に賢治のお墓があり、墓前には常に生花がいけられています。遺言に沿って建てられた賢治の墓には名前もなく、一見すると誰のお墓かわかりません。

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ぎんどろ公園の近くに宮沢賢治の墓所、身照寺があります。
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境内には見事な枝垂れ桜が咲いていました。
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ここが宮沢賢治の墓所です。
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山寺 山形県

4月20日、白河から山形の山寺に移動。2回目の訪問である。
山寺とは愛称であり、実際は『宝珠山立石寺』というのが正式名。平安時代前期、第56代清和天皇命により、比叡山・天台宗の高僧の慈覚大師により開山された霊場。鎌倉時代の頃になると東北仏教界の中枢となし、1000余名による修行者の移住所となっていたようだ。戦国時代になると山内に兵火を浴び消失・衰退。延文元年(1356年)初代の山形城(霞城公園)の城主・斯波兼頼により根本中堂を再建。現在では国指定重要文化財。山門から頂上の如法堂(奥の院)まで、階段が1015段あり、何度も休憩しながら登った。

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ここからが頂上「奥之院」への登り口
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三分の一ほど登るとせみ塚がある。まだまだ険しい石段が続く。
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仁王門
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開山堂と納経堂
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奥之院と大仏殿
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北タイや周辺国の旅を趣味にしています。

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