東北の旅・白河
2017.4.19から約一週間 福島(白河・郡山)、山形(山寺)、秋田(横手) 岩手(北上・花巻・遠野)を車で旅行してきました。
これは「白河編」です。
先ずは白河の関へ
ここは都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられ、蝦夷の南下を防ぐために建てられた砦なそうです。主として8~9世紀頃に機能していたようで、源義家、源義経もここから東北へ入っていきました。また、歌枕に読まれることが多く江戸時代には松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中で立ち寄ったようです。



















なお、郡山市内に入ろうとしたら、経路上に「金売吉次兄弟の墓」が有ることが分ったので急遽訪ねてみた。





宿泊は白河駅に近い「白河ビジネスホテル」、この近くの皇徳寺に小原庄助さんの墓が有るらしい。
モデルとなった小原庄助さんは諸説あるようですが、これは其のひとつで、絵を描きに訪ねた白河の友人、羅漢山人という方の家で亡くなったそうです。
辞世の句は「朝によし昼になほよし晩によし飯前飯後その間もよし」
なお、このお寺には慶応4年(1868)4月25日に白河口の戦いにおいて22歳の若さで戦死した『新撰組隊士 菊地 央(たのむ)の墓』もあります。







これは「白河編」です。
先ずは白河の関へ
ここは都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられ、蝦夷の南下を防ぐために建てられた砦なそうです。主として8~9世紀頃に機能していたようで、源義家、源義経もここから東北へ入っていきました。また、歌枕に読まれることが多く江戸時代には松尾芭蕉が奥の細道の旅の途中で立ち寄ったようです。



















なお、郡山市内に入ろうとしたら、経路上に「金売吉次兄弟の墓」が有ることが分ったので急遽訪ねてみた。





宿泊は白河駅に近い「白河ビジネスホテル」、この近くの皇徳寺に小原庄助さんの墓が有るらしい。
モデルとなった小原庄助さんは諸説あるようですが、これは其のひとつで、絵を描きに訪ねた白河の友人、羅漢山人という方の家で亡くなったそうです。
辞世の句は「朝によし昼になほよし晩によし飯前飯後その間もよし」
なお、このお寺には慶応4年(1868)4月25日に白河口の戦いにおいて22歳の若さで戦死した『新撰組隊士 菊地 央(たのむ)の墓』もあります。







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