2回目の岩手バイクツーリング 13/13 岩手県花巻市・遠野市 丹内山神社・毘沙門堂・続石
2014.5.19 岩手県花巻市の丹内山神社・毘沙門堂を見学した。
私が子供の頃遠足で行ったところだ









ここから毘沙門堂になります。


ここは全国的に「泣き相撲」で有名な場所です


毘沙門堂(国指定重要文化財)は寄棟造でやや大型のお堂で、柱も太く室町時代の大らかな建築様式を
残しています。もともとここに毘沙門天があったが、老朽化のため現在は別の場所に安置さあれている

成島毘沙門堂(国の重要文化財)にある一本造りの仏像。高さは4.73mで毘沙門天像としては日本で1番
の大きさである。平安中期の作とされる。

ここから遠野市の続石になります

山道を300mぐらい登っていきます。

するとこのような奇岩が現れる

『遠野物語』の第11話に出てくる、幅7m、奥行5mの石に厚さ2mの巨岩が乗っている巨石遺構。
古代人の墓とも、武蔵坊弁慶が持ち上げて作ったともいわれている。

こちらは不動岩 写真だと迫力はないが実際は巨岩だ


終わり
私が子供の頃遠足で行ったところだ









ここから毘沙門堂になります。


ここは全国的に「泣き相撲」で有名な場所です


毘沙門堂(国指定重要文化財)は寄棟造でやや大型のお堂で、柱も太く室町時代の大らかな建築様式を
残しています。もともとここに毘沙門天があったが、老朽化のため現在は別の場所に安置さあれている

成島毘沙門堂(国の重要文化財)にある一本造りの仏像。高さは4.73mで毘沙門天像としては日本で1番
の大きさである。平安中期の作とされる。

ここから遠野市の続石になります

山道を300mぐらい登っていきます。

するとこのような奇岩が現れる

『遠野物語』の第11話に出てくる、幅7m、奥行5mの石に厚さ2mの巨岩が乗っている巨石遺構。
古代人の墓とも、武蔵坊弁慶が持ち上げて作ったともいわれている。

こちらは不動岩 写真だと迫力はないが実際は巨岩だ


終わり
2回目の岩手バイクツーリング 12/13 秋田県湯沢市 小安峡
2回目の岩手バイクツーリング 11/13 花巻 高村山荘
高村光太郎(1883年 - 1956年)は、1945年5月に東京の自宅兼アトリエを空襲で失い、宮沢賢治の父の宮沢政次郎および実弟の宮沢清六を頼って花巻の宮沢家に疎開した。しかし、宮沢家も同年8月に空襲により焼失したため、1945年秋から小屋を設けて住むこととした。それがこの高村山荘である。以来、十和田湖畔の「乙女の像」制作のため当地を離れる1952年までの晩年の7年間を独りで過ごした。この生活には戦争中に戦意高揚のために多くの詩を作ったことへの贖罪の意味があったとされる。面積は土間を含めても15畳程度と小さく、柱が細くて造作も粗末。この旧居を保存するために、二重に蓑屋で囲われている。蓑屋の入口には、草野心平の書「無得殿」が掲げてある。
内部は、障子に書かれた日時計、厠の「光」という文字の明かり取り、般若心経の文字や光太郎の自画像などに至るまで、光太郎が生活した当時のまま保存されている。
山荘の周辺は、高村記念館のほか、湧き水「智恵子抄泉」、「雪白く積めり」などの詩碑、「智恵子展望台」が整備され、散策路で結ばれている。


二重に蓑屋が作られており、実際の住居はこの中にある

これが実際の住居







トイレ 光の文字が明かり採りになっている。





十和田湖の裸像のためのデッサン

自画像


住居前の畑




続く
内部は、障子に書かれた日時計、厠の「光」という文字の明かり取り、般若心経の文字や光太郎の自画像などに至るまで、光太郎が生活した当時のまま保存されている。
山荘の周辺は、高村記念館のほか、湧き水「智恵子抄泉」、「雪白く積めり」などの詩碑、「智恵子展望台」が整備され、散策路で結ばれている。


二重に蓑屋が作られており、実際の住居はこの中にある

これが実際の住居







トイレ 光の文字が明かり採りになっている。





十和田湖の裸像のためのデッサン

自画像


住居前の畑




続く